彩雲国物語 一、はじまりの風は紅く

著者:雪乃紗衣

序 章

 深夜――王宮の奥深くで、重臣たちによるひそやかな密議がひらかれていた。
「……大問題ですな」
「ええ、このうえなく」
「主上が御位につかれてもう半年」
「ちぃとも何ともなっとりませんの……」
「何とかなると思っとったんですがの……」
「わしら年寄りは最近の風潮にはついていけぬし」
「バカモンッ! あんなのについていけるかっ」
 年寄りながら血気盛んな重臣がカッカと叫んだ。彼は若いころ戦の第一線で活躍した名うての武将であり、六十を越えた今でもすぐ沸騰する性格はあまり変わっていない。
「しかしこのままでは――」
「そう、このままではいついかなる佞臣、奸臣のたぐいが現れぬとも限らぬ」
「どころか、王位を狙う不届き者さえ現れるやも」
「目下の一大事は――」
 他の面々よりは落ち着き払った声で、しかしやはり渋面で呟くのは一人の老臣。
「……城下に広まりつつある噂を、何とかしなくてはならないことですな」
 しーんとその場が静まりかえった。そう、まず何よりその噂、それこそが問題だった。
「た、確かに」
 別の一人が汗をふきふき咳払いした。
「現れるやもしれぬ佞臣の心配より先に、まずは民の心情を慮ることが先決ですな」
「しししかし、手は尽くしたのですぞ!」
「これ以上どうしろと」
 名案が浮かばぬまま紛糾する密議に、それまで黙っていた一人がつと口をひらいた。
「――わしに一計がありますぞ」
 その声の主が国一番の重臣であったことから、周囲の声がピタリとやむ。
 一同は期待のまなざしで彼を見つめた。
「――俗に言うではないか」
 白髭を豊かにたくわえたその老臣は、意味ありげに口許をゆるませた。

「妻女こそ夫子の大敵である、とのう」

第一章 うまい話には裏がある

 その道寺からは、ある時刻になるといつも美しい二胡の音がこぼれおちてきた。
 それは本当に見事な音色だったので、道寺のそばの酒楼や茶亭では時間を見計らって聴きに来る客も決して少なくなかった。
 この日も、いつものように子供たちにせがまれ、授業が終わったあとに少女――紅秀麗は二胡を弾いていた。今日は楽曲ではなく、子供たちに人気の高い彩雲国の国語りだ。
 音色の余韻とともに、秀麗はいつものように話を結んだ。
「……そうして、彩八仙は姿を消してしまいましたが、人のなかに混じって生きていると言われているので、もしかしたら今も、私たちと一緒に暮らしているのかもしれません」
 秀麗は笑って「はい、終わり」と告げた。
 途端、真剣な顔で周りを囲んでいた子供たちはほぉっと溜息をついた。
「ねぇねぇ秀麗師」
「ん?」
「仙洞宮ってさ、今も本当にお城にあるの?」
 秀麗は二胡を脇に置くと、「ええ」と笑った。少年の頭をくしゃくしゃとなでる。
「今は仙洞省って言われてるけど、王城の一角にちゃんとあるって静蘭が言ってたわ」
「秀麗師は見たことある?」
「残念ながら、ないわ。私も一度でいいから見たいと思ってるのよ。でもさすがにお城にはね。国試が受けられれば中に入れるけど、それは男の子しか受けられないし」
「そんならいつか俺が国試に受かって、偉いお役人になって、秀麗師を嫁にもらってやるよ。そしたら城に連れてってやれるだろ」
 得意げに胸を張る元気いっぱいの少年に、秀麗は笑った。
「ほんと? それは嬉しいわ。――でもねぇ柳晋、そのためにはもーうちょっと勉強しなくちゃねぇ。昨日出した宿題、忘れてきたでしょ」
「あ、あれはぁ」
 慌てる柳晋の横で、おだんご頭の少女が秀麗に抱きつきながらべーっと舌を出した。
「ふん、あんたなんかぜーったい無理。いっつも宿題やってこないじゃない」
「柳晋はお役人より静蘭みたいに国武試受けて武官になったほうが早いんじゃないの」
「あーいえるいえる。喧嘩は強いもんな。喧嘩だけな」
「でも母ちゃんと秀麗師には弱いよな。だめじゃん?」
「お、お前らぁっ」
 顔を真っ赤にさせて柳晋が拳を振り上げたとき、道寺の扉がコンコンと叩かれた。
「申し訳ありません。ちょっとよろしいですか? お嬢様」
 入ってきた長身の人影を見て、秀麗は驚いた。
「――静蘭、どうしたのこんなところで」
「あーっ、静蘭だぁ」
「静蘭チャンバラごっこしよーぜっ」
 あっというまに子供たちに群がられてしまった青年――静蘭は苦笑を漏らした。
「ええと、ごめん。今日はちょっと用があるんだ。また今度ね」
 えーっと口をとがらす少年の頭を軽く叩きながら、彼は秀麗のほうを向いた。
「お嬢様、すぐお邸にお戻りになっていただけますか。お客様がいらしてます」
 今度は子供全員からえーっと声があがる。
 秀麗も予定外の客人に内心うめいた。――なんてこと。今日はこれから非常に重要な「仕事」が控えていたというのに。突然くるなんてどこの非常識だ。秀麗は腰を上げ、名残惜しそうに服の裾をつかんでくる子供たち一人一人の頭をくしゃくしゃとなでた。
「ごめんね、今日はこれまで。今日やったとこ、忘れちゃだめよ? 柳晋は宿題もね」
 片目をつぶると、秀麗は静蘭と連れだって路にでた。そして不思議そうに首を傾げる。
「ねぇ静蘭、どうして今の時間にここにいるの? 今日は朝廷に出仕する日でしょ?」
「ええ……そうなんですが、邸にいらしてるお客様に同行を頼まれまして……」
「その人の私用で帰らせてもらえたの?――何、お客ってそんなに身分の高い人なの?」