“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。
「ウィレミナ。今夜、蛍を見に行きませんか?」
学園の寮の部屋でのんびりとしていた時。婚約者兼護衛騎士のナイジェルからそんな誘いを受けて、わたくしは首を傾げた。
この国には季節になると蛍の鑑賞を楽しむ文化がある。とはいえ、わたくしはその文化に親しんだことがまったくないのよね。
今日明日は休日なので出かけることにはまったく支障はないし、お誘いはとても嬉しいのだけれど……。
「素敵なお誘いね。でも突然、どうしたの?」
ナイジェルが蛍に興味がある……なんて話は毎日一緒にいるのに聞いたことがない。だから少しだけ、不思議に思って訊ねてみる。
「バルドメロが妹たちと先日蛍の名所を見に行ったそうなのです。夜闇の中を蛍が舞う様子は幻想的で美しいものだったと聞いて、ウィレミナと一緒に見たいと思いました」
なるほど、情報源はバルドメロだったのね。
バルドメロはナイジェルのお友だちの騎士で、妹たちを大事にしている。
そんな彼が大好きな妹たちを連れて行くくらいなのだから、その『蛍の名所』は本当に見事なものなのだろう。
今朝所用でバルドメロが来ていたから、その時に教えてもらったのでしょうね。
「ふふ、そうなのね。では行きましょうか。デートのお誘いありがとう、ナイジェル」
正直なところ、蛍の鑑賞にはとても興味があるもの。
虫が光って飛ぶだなんて、本当に不思議だわ。生命の神秘というものね。
「ぜひ行きましょう! さっそく準備を……」
ナイジェルはいそいそと準備をはじめようとしているけれど、まだお昼なのに……!
「ナイジェル。準備をするにはまだ早くない?」
「いえ、早くないです。そうだ、エイリンにお弁当の準備もしてもらわなくては……」
ナイジェルは、きっぱりと言い切っているけどやっぱり早すぎると思うの。
「お弁当を作ってもらうのも、まだ早いわよ。それにエイリンは夕方までお休みを取ってもらっているからまだ来ないわよ」
エイリンはわたくしに仕えているメイドで、姉のように思っている気安い存在でもある。
近頃あまり休みをあげられなかったから、今日は半休を取ってもらっているのだ。
「む……。そうですか」
重ねて言えば、ナイジェルは不服そうな顔になる。
……本当にこの人は。わたくしのことになると、ものすごく張り切ろうとするのよね。嬉しいことではあるのだけれど。
「ところで、蛍はどこで見られるの?」
「この近くに蛍の名所と呼ばれている小川があるそうなので、そちらに行こうかと」
「まぁ! そんなところがあるの?」
近場にそんな場所があるなんて、まったく知らなかったわ。『名所』とまで言われているのだから、たくさんの蛍が飛び交っているのでしょうね。
「バルドメロによると、そのようです。それで、その」
「どうしたの?」
「……蛍の群れを見ることができた恋人同士には、幸運が訪れるそうですよ。群れが見られるといいですね」
ナイジェルはそう言いながら、頬を淡い赤に染める。
「まぁ、そうなのね」
わたくしの婚約者は、案外ロマンチックだ。
時々わたくしよりも『乙女』なのではないかと思ってしまう。
『乙女』になるのは、わたくしに関すること限定なのだけれど……。
「それも……。バルドメロいわく、ですが」
ナイジェルはそう締めると、照れ隠しのためなのかこほんと咳払いする。
「ふふ、楽しみね」
「はい。とても楽しみです」
「貴方と一緒なら、群れではなく数匹しか見られなくても楽しいと思うわ」
そう言って微笑んでみせれば、ナイジェルは「ウィレミナ……」とつぶやきながら心の底から嬉しそうに笑う。
……わたくしの婚約者は、とても可愛いわ。
そして、夕方になった。
半休明けのエイリンに用意してもらった『ピクニックセット』を携えて、わたくしとナイジェルは寮を出た。
馬車に乗ってナイジェルが教えてもらったという小川に行けば、そこは数組のカップルがすでにいた。
なんの変哲もない小川にこんなに人が来るなんて、本当に『名所』になっているのね。よくよく見れば学園で見た顔もいるわね。わたくしたちと同じく、蛍の『幸運』に与りに来た生徒たちだろう。
カップルたちはわたくしとナイジェルの姿を視認すると、目を丸くする。
ナイジェルの存在は少しばかり……いえ、とっても目立つものね。白の騎士服を身に着けた、銀髪の美形。その正体は学外の方々にも簡単に推測できるようで、周囲からは「あれはナイジェル殿下? ということはお隣にいるのはガザード公爵家の……」 「見て、氷の騎士様だわ」 「はじめてお姿を見たが、なんて美丈夫なんだ」などという囁き声があちこちから聞こえてくる。
……ちょっとだけ、落ち着かないわね。
「ウィレミナ、ここにしましょうか」
ナイジェルは鑑賞にちょうどいい場所を見つけると、カンテラに火を入れて地面に置く。
そしてピクニックシートを敷きはじめた。お弁当を用意し、お茶の準備も終えたナイジェルはこちらに手招きをする。そのお招きに応じてわたくしがシートに腰を下ろすと、ナイジェルもその隣に腰を下ろした。ちなみに、お茶は寮から持ってきたものなので常温だ。常温のお茶もたまには美味しいわね。
「夕方のピクニックなんて、はじめてだわ」
「私もです。ここが学園近くで治安がよいことを知っていなければ、なかなかできないことですね」
それはナイジェルの言うとおりね。夜闇に乗じてよからぬことを企む輩は世に多い。こんなふうに安全に蛍を鑑賞できる場所は、案外少ないのだろう。
「たしかにそうね。今も見回りの兵士の姿があるから安心するわ」
周囲を見ると、数人の兵士たちが川辺の様子を伺っている。
学園では貴族の子息子女を大勢預かっている。……いえ。今の学園は貴族の子息子女だけではなく、王族も二人いるわね。それもあって学園周辺の安全を守るため定期的に巡回することになっているので、このあたりの治安はいいのよね。
わたくしには頼りになる騎士であるナイジェルもいるから、万が一なにかがあっても大丈夫だろう。
「ひとまず、お弁当を食べつつ蛍が活動しはじめるのを待ちましょうか」
「そうね。エイリンはなにを持たせてくれたのかしら」
「短時間で用意したので、簡単なものだと言っていましたが……」
ナイジェルは言いつつ、弁当箱を開く。
するとそこには薄切りのローストビーフとチーズ数種類、輪切りにした硬めのパン、茹でた野菜、スコーン、クロテッドクリームが入っていた。
「なるほど。こちらで仕上げをする形式なのですね。好みで具材を挟めるので、これはこれはでなかなかいいですね」
パンを手に取ると、彼はローストビーフとチーズ、野菜を挟んでこちらに渡す。
「ありがとう、ナイジェル」
わたくしは彼が作ってくれたサンドイッチを受け取り、口にした。
「ふふ、美味しいわ」
具がたくさん盛られていて、少々お行儀の悪い食べ方になってしまっているけれど。たまにはいいわよね。
たっぷりのお肉とチーズのハーモニーが堪らないわ。サンドイッチをひとつぺろりと食べ終わると、ナイジェルが新しく作ったものを差し出してくる。も、もう。際限なく甘やかしてくれるわね、この人は!
「うん。自然の中で食べるお弁当というのはいいですね」
自身の分のサンドイッチを作って口にしつつ、ナイジェルがつぶやく。
「そうね。夕暮れの中というのも、とても新鮮」
夕暮れを肩を寄せ合いながら眺めつつ、わたくしたちはお弁当を二人で食べた。
そうしているうちに、茜色の空は少しずつ藍色に変わっていった。
「空の色はこうして毎日変化しているのね。わたくし、空の移り変わりがこんなに綺麗なものであることを忘れていたわ」
日々を忙しく過ごしている間に、見過ごしていることも多いのだろう。
この美しい空を目にして、そんなことを思わされる。
「連れてきてくれてありがとう、ナイジェル」
「まだ空しか見ていませんよ。本番は蛍です」
おどけたように言われて、わたくしはくすくすと笑ってしまう。
「たしかにそうね」
そんな話をしながら笑い合っていると……。
ふわりと、小さな光がひとつ舞った。
「……蛍よ」
「光ったわ」
「美しいな」
そんなざわめきが、周囲から聞こえる。
頼りなく、だけど命の心強さを感じられる光が、ふわりふわりと宙を舞う。
わたくしは生命の神秘ともいえる、ただその光に見入ってしまった。
「綺麗ね、ナイジェル」
「そうですね、ウィレミナ」
「あんなに小さいのに一生懸命飛んでいるわ。……なんだか感動してしまうわね」
蛍に夢中なわたくしを見つめて、ナイジェルはくすりと笑う。……ちょっと子どもっぽくはしゃぎすぎたかしら。
「可愛いですね、ウィレミナ」
「なっ。どうして突然そうなるのかしら!」
「可憐で凛としているのに無邪気だなんて。貴女に欠点はないのですか?」
「な……なっ!」
胸の前でぎゅっと拳を握りながら困惑していると、彼の顔が近づいてくる。そして、額に優しくキスをされた。
「ナイジェルっ……!」
「照れている貴女も可愛いです。ウィレミナは……世界一可愛い」
「ひんっ」
この人はてらいなく、わたくしに『可愛い』と言い過ぎなのよ! もちろん、嬉しくないわけではないのだけれど! でもやっぱり恥ずかしいわ!
「お、覚えてらっしゃい……!」
わたくしはついつい、悪役の捨て台詞のようなことをくちにしてしまう。そんなわたくしを見てナイジェルの口がまた『可愛い』と動きそうになったので、わたくしは慌てて彼の口を両手で塞いだ。
「むぐ……むーむー!」
口を塞がれたナイジェルは、こちらを不服そうに見つめながらなにかを言っている。
わたくしは彼の口から、そっと手を外した。
「蛍を見ている間、可愛いは禁止よ」
言いながらぷくんと頰を膨らませると、ナイジェルは「か……」と言おうとしてからはっとして口を閉ざす。ふふ、ちゃんといい子にできるじゃない。
「いい子ね。可愛いわ、ナイジェル」
にこにこ笑いながら頭を撫でれば、ナイジェルは拗ねた顔になった。髪の毛、さらさらで気持ちいいわね。もっといっぱい撫でましょう。
「ずるい、ウィレミナはずるい……」
ナイジェルは拗ねた顔のままだけれど、素直に頭を撫でられている。ちょっと気持ちよさそうにしているから、不快なわけではないのでしょうね。
「ずるくないわ」
「うう……」
不服そうなナイジェルの頭をひとしきり撫でてから、小川の方へと視線を戻す。すると……。
ふわりふわりと、さらにいくつかの光が宙を舞う様子が目に入った。
周囲からは「ほう」という感嘆の息が零れ、わたくしも彼らと同じように息を漏らす。
「本当に……綺麗ね」
「そうですね、ウィレミナ」
「ずっと見ていたくなるわ……」
蛍に夢中になっていると、ぎゅっと手を握られる。
わたくしもその手を握り返せば、それを喜ぶ気配が隣に溢れた。……すごいわ、見なくても喜んでいるのがわかるなんて。こういう時のナイジェルって、落ち着きがない犬のように気配が忙しないのよね。
自由に舞う光たちをみていると、絵本の中の『妖精』なんてものの存在を信じてしまいそうになる。もしかして、昔の人々は蛍を妖精と見間違えたのではないかしら。
その時。肩にふわりと布が掛けられた。ナイジェルが薄手のブランケットを掛けてくれたのだ。
「夜になって、気温が下がってきましたから」
「ありがとう、ナイジェル。言われてみれば、少しだけ寒いわね」
「……二人で包まりますか?」
「二人でっ……!?」
ナイジェルの提案にわたくしは驚きの声を上げてしまう。
「ええ。このブランケットは大きめのサイズのものなので」
わたくしはしばしの間悩んだあとに──。
「……じゃあ、そうしようかしら」
そう言いつつナイジェルの側に寄ると、彼は少し緊張しながら自身の体とわたくしの体をブランケットで覆ってくれる。自然と肩同士がぴたりとくっつき、心臓がどきりと跳ねた。
こ、婚約者同士だもの。これくらいの触れ合いは問題ないわよね……!
「……温かいですね」
「……そうね」
「それに、ウィレミナのいい匂いが近くでします」
「変なことを言わないの!」
……それに、ナイジェルのほうがいい匂いだと思うのよ。
いつも爽やかな香りをさせて! 本当に罪な男ね!
「……こんなに貴女の近くにいられるなんて、幸せだな」
ナイジェルがこちらを見つめながら微笑み、そう囁いた瞬間。
たくさんの蛍が草むらで、宙で、淡い光を発した。
──それはまるで、夜の海に灯る夜光虫の灯りにも似た。
この世のものとは思えない美しい光景だった。
「っ……!」
声を出すこともできずに、わたくしは目の前の光景にただ見惚れてしまう。
それはナイジェルも同じで、わたくしの隣で小さく息を呑んでいた。
「壮観ですね」
「……本当ね」
「ウィレミナとこの美しい光景を見ることができてよかったです」
「わたくしもそう思うわ。ありがとう、ナイジェル」
わたくしたちは見つめ合い、自然と距離が近づいていく。
ナイジェルはブランケットをわたくしたちの頭に掛け直して周囲から見えないようにすると、噛みつくように唇を重ねてきた。
「ふっ……」
何度も唇を重ねられ、上手く息継ぎができない。
やっと唇を離してもらえた頃には、わたくしは息も絶え絶えになっていた。
「も、ナイジェル……っ」
文句を言おうと彼を睨みつけてはみたものの……。
あまりにも幸せそうなナイジェルの顔を見ていると、わたくしはなにも言えなくなってしまった。