“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。
ぽつぽつと、燭台の蝋燭に火が灯っていく。
真っ暗な室内に、温かな光がゆらりと揺らめくさまを、ルビィはソファに座ったまま見つめていた。
「申し訳ありません、奥さま。今夜は蝋燭の灯りでご辛抱くださいませ」
手燭片手に、メイドのリサが申し訳なさそうに言う。
屋敷の照明器具が機能しなくなったのは、空が薄暗くなり始めた夕刻のこと。
雷雫灯というその魔道具は、底面に描いた魔術陣と、魔力を溜め込んだ魔石、雷光を閉じ込める特殊なガラスという単純な構造で出来ている。
スイッチを押せばいつでも明かりが灯るという、大変便利な代物である。
しかし、弱点もあった。
今朝方から降り始めた雨とそれに伴う雷により、大気中の魔素に乱れが発生。魔石から魔術陣への魔力供給に、不具合が生じてしまったのだ。
雷雫灯が機能停止したのが夕刻だったのは幸いだった。おかげでまだ明るいうちに、倉庫からありったけの燭台を取り出し、各々の部屋へ運ぶことができたのだから。
「奥さまの的確な指示のおかげで助かりました! ……だけど、よりにもよって旦那さまがいらっしゃらない夜に、こんなことになるなんて」
「そうね……」
宮廷魔術師である夫のアルセニオは、今朝から遠方での魔獣討伐任務のため、地方に赴いている。帰りは早くとも、明朝になると言っていた。
もちろんアルセニオがいたところで、雷雫灯の不具合がすぐに直るわけではない。いくら最強魔術師と謳われる彼でも、大気に干渉するほどの力はないはずだ。
それでも、屋敷の主人がいるのといないのとでは大違いである。
「とにかく、戸締まりをしっかりして、暗いから注意して行動するよう皆に伝えてね」
「はい、かしこまりました。それでは、おやすみなさいませ」
一礼し、リサが部屋を去ろうとする。ルビィは咄嗟に、彼女を引き留めようと手を伸ばしていた。
「あ……っ! あのね、リサ」
「はい、なんですか?」
「――う、ううん。なんでもないわ」
そして笑顔で、首を横に振った。
言えるわけがなかった。
雷が怖いから傍にいてほしい――なんて。
§
ルビィは雷が苦手だ。
特にこれと言った理由があるわけではない。大抵の人間が『ゴ』の付く例の虫を忌み嫌うのと同じで、ただただ本能が拒絶するのだ。
だからといって、三歳も年下のリサに頼るのは気が引ける。
ルビィはこの家の女主人なのだ。非常事態こそ、毅然と振る舞わねば。
結果として、ルビィは寝台の上でクッションを抱きしめたまま、ただひたすら夜が明けるのを待ち続けていた。
(眠れば一瞬、眠れば一瞬……)
そう考えて無理矢理眠ろうとしたものの、遠くからゴロゴロ……と響いてくる雷鳴がそれを許してはくれない。
いつあの雷が近づいてくるか、いつ轟音を響かせながら閃光を撒き散らすか。心配で心配で、とてもではないが眠れそうになかった。
唐突に部屋の扉を叩く音が聞こえたのは、それから一時間も経った頃だろうか。
短い悲鳴を上げて飛び上がったルビィの耳に、慣れ親しんだ声が聞こえてくる。
「ルビィ、僕だ。入ってもいいか?」
「アルセニオさま!?」
急いで寝台から降り、小走りで扉を開けに行く。
果たしてそこには、魔術師の制服に身を包んだアルセニオが佇んでいた。外套も髪もしっとりと濡れている。
「どうして――お仕事は?」
「朝から雲行きが怪しかったから、もしかしたら雷雫灯が消えてしまうかもしれないと思って、急いで片付けて転移陣で帰ってきたんだ。――どうやら、予想通りだったようだ」
蝋燭に照らされた室内を見回しながら、アルセニオが言う。
夫が帰ってきてくれたことに安堵したのもつかの間、その前髪から小さな雫がぽたりと零れるのが見え、ルビィは慌てて彼を室内に促した。
「と、とにかく入ってください。濡れた髪と服を乾かしましょう」
「じゃあ、少しだけお邪魔しよう」
「外套、お預かりしますね。アルセニオさまはソファに座っていてください」
受け取った外套をコートラックに掛け、脱衣所の籠から乾いたタオルを取り出し、それを持ってアルセニオのもとに戻る。
「では、少し失礼しますね」
「ああ」
ルビィは彼の真正面に立つ形で丁寧に水気を拭き取り、せっせと乾かしていった。
実家にいた頃はよく、風呂上がりの弟や妹の髪を拭いてあげていたものだと、ふと懐かしく思う。
「僕がいない間、君が使用人たちに指示を出してくれたんだろう? ありがとう」
「どういたしまして。実家でもたまにこういうことがあったので、慣れていたんです。それで、きっとこのお屋敷にも燭台が保管してあるだろうと思って」
この国のほとんどの貴族にとって、オイルランプや蝋燭は前時代的な道具だ。
しかし、たまにこうして雷雫灯が使えなくなるがゆえに、それらを完全に手放すことは難しいのだった。
「アルセニオさまのほうは、任務はどうでした? 危ないことはありませんでしたか?」
「数は多いが、たいして強い魔獣じゃなかったからな。おかげで、早く家に帰って来られた」
「まあ」
いたずらっぽい表情に思わず笑みを誘われた、その時だった。
――ドォン!
突然なんの前触れもなく、大きな雷の音が鳴り響く。
地揺れし、窓を震わすほどの轟音に、ルビィの身体がまた小さく跳ね上がった。
タオル越しとは言え直接頭に触れていたのだ。アルセニオがルビィのそんな反応に気づかないはずはない。
「大丈夫か? ルビィ」
「ご、ご、ごめんなさい……っ。ちょっと、驚いて……」
「ちょっと、と言う割には顔色が悪いようだが……。もしかして、雷が怖いのか?」
慌てて取り繕ったが、アルセニオにはお見通しだったようだ。
気遣わしげな眼差しに、ルビィは観念して小さく頷いた。
「子どもの頃から苦手なんです。特に理由はないのですが、雷が鳴ると身がすくんでしまって」
「実家でもたまにこういうことがあったと言っていたな。そういう時は、どうしていたんだ?」
「妹や弟たちとお話をして、必死で気を紛らわせていました」
情けない話だが、年下の弟妹たちが一緒にいてくれるだけで、大分恐怖が薄れたものだ。
ルビィの言葉に、アルセニオがしばし考え込むようなそぶりを見せた。
彼はそのままルビィの手をそっと引いて、自身の隣に座らせる。
「なるほど、雷から気が逸れるような話をするといいんだな。だったら――以前、ジェレミーから聞いたゲームをやってみようか。お互いの好きなところを言い合うんだ。先に話題が尽きたほうが負け。負けたほうは、勝ったほうにキスをしないといけない」
「えっ……! そ、それは恥ずかしすぎます!」
「少しくらい刺激的な話題のほうが、恐怖が紛れるだろう」
というか、単にアルセニオが聞きたいだけなのでは――。
一瞬そう思ったが、彼が完全に乗り気な様子だったので、ルビィはそれ以上何も言えなくなった。
「君がひとつ言えば、僕もひとつ言う」
蝋燭の灯りが揺らめく中、アルセニオが優しい眼差しでルビィを見つめる。
いつもと変わらない距離感だというのに、仄明かりの中にいるせいだろうか。無性に落ち着かない心地にさせられた。
「……ア、アルセニオさまは、優しくて、強くて……いつもわたしのために心を砕いてくださるところが、好きです」
蝋燭の灯りの中でよかった、とルビィは心底思った。そうでなければ、顔が赤くなっていることに気づかれてしまっただろうから。
アルセニオは軽く目を瞠った後、嬉しそうに笑みをこぼした。
「次は僕の番だな。……ルビィが、僕をまっすぐ見て笑う顔が好きだ。何もかも忘れて、ずっと見ていたい」
これは、思ったより恥ずかしいかもしれない。
ルビィはより一層真っ赤になり、耐えきれず顔を覆う。
妻が照れていることは分かっているはずなのに、アルセニオは容赦なく次を促した。
「さあ、ルビィの番だ」
「アルセニオさま……面白がってますね?」
手の隙間からじとりと睨みつけると、彼は楽しそうに笑い声を上げる。
「はは、ごめん。だけど、君の口から僕の好きなところを聞けるのが嬉しくて」
「アルセニオさまのそういうところ、ひどいと思います」
「ひどいところじゃなくて、好きなところが聞きたいな」
余裕の表情でそう言われ、ルビィはますます面白くない気持ちになった。
小さな頃はあんなに純粋だったのに――いつの間に、こんなに熟れた大人になったのだろう。
「どう? もう僕の好きなところはない?」
ずるい問いかけに、ルビィはぐっと言葉に詰まる。
好きなところがこれ以上ないなんて――ありえない。
「……アルセニオさまの好きなところは、もっとたくさんあります。全部言っていたら、一晩じゃ足りないかもしれませんよ」
「それは……大歓迎だ」
ふたりしてくすりと笑う。冗談を交わせるだけで、こんなにも心が軽くなるのだと、ルビィはあらためて思った。
「……アルセニオさまの、声が好きです。わたしを呼ぶ穏やかな声を聞くと、自然と心が弾むんです」
「君の、ひたむきな眼差しが好きだ。いつも一生懸命で、前向きで……本当に尊敬している」
「大きな手が、好きです。手を繋いでいると、すごく安心します」
「僕も、君の小さくて柔らかい手が大好きだ。繋いでいると、君が確かにここにいるんだって実感できる」
ゆったりとした空気が流れる中、どちらからともなく、ふたりの手がそっと重なる。
その瞬間、また遠くで雷鳴が響いた。けれど、ルビィはぴくりともしなかった。
「慣れたのか?」
ルビィはふるふると首を横に振る。
慣れたわけではない。それでも、先ほどより心が落ち着いているのは、アルセニオが傍にいてくれるからだ。
「アルセニオさまがいてくださるから、平気です」
ルビィの言葉に、アルセニオは軽く目を見開いた後、溶けるような笑みを浮かべる。
「君の、そういう素直なところが好きだ。大好きだ……ルビィ」
穏やかな声で囁かれて、ルビィの頬がまたほんのり熱を帯びる。
遠くのほうではまだ雷鳴が鳴り響いていたが、もうそんなことは少しも気にならなかった。
「わたしも……大好きです、アルセニオさま」
雨の音が静かに部屋を包み込む中、ふたりの距離が近づき、唇がそっと重なる。
やがてルビィは、彼の温もりに包まれながら、そっと瞼を閉じた。
世界のどこよりも安心できる、たったひとつの場所で。
ただ蝋燭の灯りだけが、寄り添うふたりを見つめていた――。