角川ビーンズ文庫24周年フェア 24hours of Sweet Lovers

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“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。

夜のとばりに翡翠は光りぬ

頼爾
「軍人王女の武器商人」シリーズ

 ノックの音で、ふわふわと眠りに誘われていた私の意識は一気に浮上した。背中には柔らかなソファの感触がある。
 あかね色の空がやみと混じり合う頃に執務しつむを終え、王城の自室で寝そべって王国史の本を読みながら、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだ。本は落としておらず、腹の上にある。
 数回のノックの後で部屋に入ってきた人物は、扉付近で様子をうかがうように立ち止まっている気配がする。
 目はまだ開けない。
 十二歳で王国軍に入って八年。
 扉の開け方と足音と気配で誰が入室したかは当然分かっている。
 王女である私の部屋に入れる人間は限られる。
 特に、ノックに対する返事を私がしなくても入室を許している人物は一人しかいない。
 彼はあまり足音を立てずに、私が寝そべるソファにゆっくり近づいて来た。
「王女様、起きていらっしゃるのでしょう? そこで眠ると冷えますよ」
 思った通りの声に私はやっと目を開けた。
 ジスランが立ったまま、いつもの微笑を浮かべて私の顔をのぞき込んでいた。
「おかえり」
 寝そべったままジスランに手を伸ばすと、彼は笑いながら黒手袋をつけた手で私を引っ張り起こした。
「とてもいい気分です、寝起きの王女様に『おかえり』と言っていただけるのは。これからは今日のように遅く帰ってこないといけません」
「予定より遅いから、ギルモア商会に引継ぎに行ったまま帰ってこないかと思ったぞ。私の武器商人」
 からかうように告げると、ジスランは私の手を握ったまま隣に腰掛ける。
 婚約式を行うのは来年初めだ。そして来年の行事は例年に比べて格段に多く、多忙になることは容易に想像できる。
 だからこそ、ギルモア商会の武器商人であるジスランは、商会に関する引継ぎ業務を年内に終わらせようと今日も商会に顔を出していたのだ。
「引継ぎ自体は元々資料を作成していたのであまり時間はかからなかったのですが……今は商会でセールをやっているので、人手が足りずに手伝いにり出されました」
 私の肩に頭を預けるジスランには、珍しく疲労の色が見える。
「ベッグフォード商会の製品不良もあったからよく売れるだろう。まさか、じゅうも値引きしているのか? それなら余計に忙しいな」
「武器は対象外で、生活用品が主です。魔石コンロが一番売れているそうで、補充が間に合っていないようでした」
「創業何周年かのセールなのか? ギルモア商会は元が他よりも安いから、あまり値引きはしないだろう?」
 すぐ近くにいつもは見ないジスランのつむじがあったので、なんとはなしに触った。
「……よく、ご存じですね」
 頭の回転が速いジスランにしては、今の返答は遅かった。
「どうした? 私がギルモア商会について知っていてはおかしいか?」
「そういうわけではございませんよ。王女様に知っていただけて嬉しいです」
 怪しい。この男が口ごもることなどめったにない。
 私の横でジスランはいつものように微笑んでいるだけで、本心をなかなか見せない。しかし、表情が読みづらくとも何かが怪しいと分かる位にはなっていた。
「王女様はなぜ王国史の本を読まれていたのですか?」
「先例があると政策の根拠を示しやすいからな。ジスランは今日何かあったのではないか?」
「商会のセールの忙しさと熱気で少し疲れただけですよ」
 ジスランは児童養護施設出身で、ギルモア商会の会長の養子だ。
 私に味方がいなかった時に彼はすべてを捧げて助けてくれたのだが、貴族たちの中には彼の出自で陰口を言う者はまだいるだろう。裏を返せば、出自くらいしか彼の悪口を言えないということだ。
 ジスランが微笑んだままそれ以上何も言わないので、今度は彼の耳で揺れる翡翠ひすいのイヤリングをいじる。
「王女様はこの翡翠がお好きですね。私よりもこれをながめていらっしゃる時間が長いのではないでしょうか?」
「最初に会った時にこれに目が行った。いつもつけているな。そなたの翡翠色の目によく似合っている」
「王女様は平気でそのような口説き文句を口にされるので、他の人にも言っていないか心配になります」
 ジスランはクスクス笑いながら頭を起こすと、片方のイヤリングを外して私の耳につけた。
 パチリという音とともに、耳たぶに重さと違和感が生じる。
「ウィンナイト王国でこれほどの大きさの翡翠は珍しい。どこで手に入る?」
「会長が外国で仕入れてきたのですよ。恋人の日に流行らせようとしましたが失敗して、在庫が倉庫に積まれていたのでもらいました。ご所望ですか? すぐには手に入りませんが手配します」
 ジスランの様子は普段に比べて少しおかしいのだが、彼が理由を喋らないのでどんどん話が逸れていく。
 もしも陰口を言われているならば、彼に対する侮辱ぶじょくは王女である私への侮辱にも等しいので対応しないといけない。
「恋人の日、なんてあっただろうか?」
「正式なものではありませんし、もうすたれたのではないでしょうか。二年前にどこかの商会が商売のチャンスにしようと勝手に言い出したのです」
「二年前なら軍の任務で国境にいたから、その頃の王都の流行りはよく知らんな。会長は恋人同士でイヤリングのプレゼントをし合うことでも考えたのか?」
「えぇ、お互いの目の色や髪の色の石のついたイヤリングをそれぞれが買って、片方ずつ交換するのです」
「へぇ、なかなか面白いのになぜ流行らなかった?」
「恋人の日という認識がそもそも流行らなかったので、それに付随ふずいするものも流行らなかったのです。会長は発案者なのに、奥様の目の色のイヤリングをすぐ失くして怒られていました」
 うなずきながら自分の耳のイヤリングに触れた。つけ慣れていないせいか、あるいは恋人らしいことをしている自覚が芽生えたせいか、妙にくすぐったさを感じる。しかし、外そうとは思わない。
「それなら、私が薄紫色の石のついたものを買って片方をジスランがつければいいな」
「王女様、そんなことをしたら会長を喜ばせるだけです。王女様が身に着けたものは流行るので……会長は在庫をみがき上げて大々的に売り出すに決まっています。ギルモア商会と癒着ゆちゃくしているなどと言われてしまいますよ。ただでさえ、おかしなセールをやっているのですから」
「もう私たちの婚約記念セールでもやっているのか? 気が早いな」
「さすがにそれはないですが『祝・初恋成就』セールをやっています」
 私から離れてソファの背に気だるげに腕を預けていたジスランが一瞬、視線を斜め上に泳がせる。
 意味が頭に浸透しんとうするまで時間がかかった。
 意味が分かって私が思わず笑うと、ジスランもわざとらしく大きく口角を上げる。
 様子がおかしかったのはそれが理由か。私には知られたくなかったのか。
「なんだ、恥ずかしかったのか?」
「私の初恋が王女様であることは、当然のことです。隠すようなことでも恥ずかしがることでもありませんよ」
 翡翠色の目は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
 耳よりも心の方が、今はくすぐったくておかしい。
「では、なぜ今日は少し様子がおかしいんだ? 誰かに陰口でも言われて落ち込んでいるのかと思った」
「会長にわざわざ祝われて、セールまで開催されるのが恥ずかしいのです。親バカのようではないですか。ベッグフォード商会が凋落ちょうらくしてチャンスだとセールをするのは知っていたのですが、名称までは知らなかったものですから。まさか、かこつけるなんて」
 よく考えれば、ジスランは陰口程度で落ち込むような人物ではなかった。
「この前の夜会で大勢の前で私にあんなことをしておいて、まだ恥ずかしいことがあるのか」
「最初にされたのは王女様です」
「あれは夜会ではなかったし、そなたは断っただろう」
「おや、根に持っていらっしゃるので? それでは、ご機嫌を取るべく王女様にイヤリングをプレゼントしないといけません」
「では、そなたがいつも着ているジャケットのような色のものを用意するように」
 ジスランの冗談に笑いながら、少しえらそうに指示する。
 ジスランはいつも私の目の色のような薄紫のジャケットを羽織っている。何着持っているのかは聞いたことがない。
「アメジストが良いでしょうね。ご存じですか、アメジストには『酒に酔わない』という意味があり、石言葉には『真実の愛』が含まれるそうですよ」
 ジスランの声音にほんの少し喜色が混じった。
「武器商人なのに宝石にも詳しいな……まさか、そなた、私がイヤリングを欲しいと言うように誘導したのか? 落ち込んでいる振りをして気を引いて、会長の悲しいエピソードまでえて? 策士だな」
 思い返せば、彼の視線を泳がせる様子もわざとらしかった。
 養父であるギルモア商会の会長にからかわれたのは確かだろうが、それで恥ずかしいなどとジスランは思うのだろうか。散々私に命まで捧げておいて。
「落ち込んだ振りはしていません。気恥ずかしいのも事実です。物欲のない王女様に何かねだってほしいとは思っていましたが」
「珍しく口ごもったではないか」
「それは、王女様が急に私に触れるからです」
 今度はジスランが私の耳のイヤリングに手を伸ばして触れる。
 以前までの彼は、私に触れる前に必ず許可を取っていた。それがなくなったのは、如実にょじつに距離が近くなったことを意味する。
 ジスランの指が辿たどった後のくすぐったさが、すぐに熱さに変わっていった。
「王女様は平気で私にこうしたり、つむじを触ったりされるのですから。あなたの些細ささいな行動がどれだけ私の心をかき乱しているか、少し分かっていただけましたか」
 ジスランはクスクス笑って、顔を近づけてくる。口付けするつもりかと思ったが、私の耳元で彼はささやいた。
「そのイヤリングは指輪の代わりに毎日つけておいてください。もう何回かは様子を見に商会に行かなければなりませんから、王女様のお側にいられない日があります。つけておけば、私がいない間も私のことを少しは考えてくださるでしょう?」
 熱さの残る耳を自分の指でも辿る。
 十二歳以降、私は装飾品をもらったことなどなかった。軍に入る前の十二歳までは誕生日に年相応の物が用意されていたのだ。だから、誕生日以外でもらうのは初めてだった。
 装飾品が欲しいと思ったことなど、なかったはずだった。それでも、ジスランの行動で私の心は不思議と満たされていた。
 何度か耳をさすっても、ジスランが触れた熱はなかなか消えない。
「片方ずつ交換するのだから、もうこれを返すことはない。ずっとつけておく」
「では、アメジストのイヤリングをすぐに手配しないといけませんね。王女様の使うものはこれからは私が準備します。武器も装飾品も」
 ジスランが笑みを深めるのに合わせ、翡翠のイヤリングが暗くなった部屋で揺れて光る。
 その光が私には非常にまぶしく思えた。


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