“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。
作戦開始、ヒトロクマルマル。春が近くなってきたのでまだ外は明るいが、そろそろ日が傾き始める時間だ。だからこその、作戦決行時間。
「陛下、誰もいません。いけます」
ジルが竜妃宮をもらってから増えた抜け道のひとつに、ハディスが自転車を引っ張り出した。竜では目立ちすぎる。
「ジル、うしろ乗って」
ハディスが足をかけた自転車の荷台部分に、ジルは飛び乗る。籠部分にはラーヴェが入っている。行き道の、いつもの配置だ。
「しゅっぱーつ!」
ハディスが声をかけた瞬間、城門から坂道を勢いよく自転車が走り出した。
帝都ラーエルムは坂道や階段の多い都だ。特に、帝城は街を見おろす高台にある。そこから出発すれば自然、道はすべて下り坂になる。
「今日も成功ですね、陛下!」
ハディスの背中にぎゅうっとしがみつきながら、ジルは風に負けないよう声を張り上げた。
「なーにー?」
「帝城からの脱出成功です!」
「そりゃあ、竜帝と竜妃に、竜神まで協力してるんだからな。しかし、なんべんやっても飽きねえな~これ」
正面から風をあびながら気持ちよさげにラーヴェが答える。ばたばたと服の裾が忙しく鳴る。ぎゅうん、とゆるいカーブを勢いよくまわり、ジルは目を輝かせた。
「わたしも! これ目当てになってるところあります」
「だよな」
「ふたりとも、目的は買い出しだよ。夕方からの特売!」
「わかってます~!」
ほんとかなあ、とつぶやいたハディスが逆向きにカーブを切る。自分で走るのとも飛ぶのとも違う浮遊感とスピード感に、ジルははしゃいだ声をあげた。
ジルの夫ハディスはラーヴェ帝国の皇帝である。だがしかし、主夫である。主夫であるハディスが帝城の仕入れではなく自ら市場へ赴き買い出しをするのは当然の流れだ――たぶん。皇帝でも、たぶん。こだわりがあるのだろう、たぶん。
ハディスに渡された買い出しメモと買い物かごの中身を指さし確認して、よしとジルは胸を撫で下ろした。待ち合わせ場所は、市場の折り返し地点でもある広い公園。そして現在、待ち合わせ時刻の五分前。
(今回は陛下より買い物早く終わったし! あれっひょっとして初めてか!?)
一緒に買い出しをするようになった頃はハディスに言われるがままだったが、だんだん手際よく回れるようになってきているのだ。
ジルはサーヴェル辺境伯の三女だが、本邸がラキア山脈の中腹にあるため、たまに家族で麓の街に買い出しに出かけていた。そのとき買い出しや何やらを手分けして作業していた両親を思い出す――なんだか、普通の夫婦っぽい。
ジルはひとりでにんまりする。今日はひとりで頑張ったこともあるのだ。
(まだかな、陛下)
振り向こうとして、誰かにぶつかりかけた。慌ててジルは身を引いたが、肘が相手のスカートの裾部分にかすったのか、風に吹かれたように広がった。
「ちょっと! あぶないじゃない」
甲高い声をあげた女の子に上から怒られ、ジルは首をすくめる。
「す、すみません」
厳密にはぶつかってはいないが、足を止めさせてしまったのは事実だ。綺麗なワンピースを着た女の子は、ジルをじろじろ見たあと、勝ち誇ったように笑った。なんだかかちんとくる笑みだった。
「汚れたらどうするのよ」
女の子はスカートの裾が汚れてないかこれ見よがしに確かめ、やはりこれ見よがしにカールを巻いた髪を整えて、紅が塗られた唇で言い捨てた。
「だから子どもって嫌」
女の子はつんと顎をあげて公園中央にある時計台の下へと歩いていった。待ち合わせでもあるのだろう、そこから動かない。かつかつという、ヒールの音がやけに耳に残った。
少し角度を変えれば視界に入るが、待ち合わせがあるならこれ以上からまれたりはしないだろう。ジルはほっと息を吐き出し、なんとなく自分の姿を見おろした。
(……どこか汚れてたりするかな、わたし)
ハディスとの買い出しは、すなわち帝城の脱走が伴う。おしゃれなどという余裕はないため当然、化粧などしない。そして、動きやすい普段着と靴。訓練後に抜け出したせいか、それとも帝城を抜け出したときにか、靴には砂がついていた。特売品を取り合う買い物客の間をかいくぐったため、髪もひょっとしたらぐちゃぐちゃではないのか――急いで靴の汚れをさっと払い、ぱぱっと髪を整えてみるけれど、鏡がないから確認できない。
勝ち誇られたさっきの笑みを思い出してしまった。くそう、と歯噛みする。可愛く着飾るのが嫌なわけじゃない。だがハディスとの買い出しは、ハディスの護衛もかねているのだ。だから動きやすく、汚れてもいいように――自分の選択は何も間違っていない。
(……でもちょっと、へこむかも)
女官長が油断するなと注意しているのは、こういうことだろうか。
ベンチに腰かけて、ひとりで反省会をする。でも、自分は踵のある靴をこれからも選ばないだろう。精一杯女性らしくしようと踵のある靴をあえて選んでいたときもあったけれど、今はもうそんなことしなくていいと思うから。
「ジルお待たせ~!」
市場からやたら顔のいいエプロン姿の男が手を振る姿が見えた頃には、待ち合わせ時刻から少しすぎていた。ジルは急いで「なんでもありません」という顔を作り、夫を出迎える。
「今日は遅かったですね、陛下」
「あ、ほんとだ。待たせた?」
「ちょっとだけ」
「ごめん~でも見て、この青々としたキャベツ! もうこんなの見たら寄り道せずにいられなくって。今回は大漁~!」
戦利品を見せるハディスはほくほく顔だ。
ハディスは目ざといから、いくら野菜に夢中でもジルの格好がおかしければ気づいて、それとなく直してくれるだろう。それにハディスだってエプロン姿だ。ほっとしてジルの肩から力が抜ける。
「そっちも買えた?」
「買えました! 陛下に言われたとおりに、パンでしょ、チーズでしょ、この卵も! お一人様限定の格安卵!」
「僕も買えたよ、なんとか。ラーヴェはやっぱり頭数に入らなかったけど」
「そらそうだろ」
呆れ顔の竜神ラーヴェは普通の人間には認識できない。ハディスが白けた目でつぶやく。
「役立たず」
「聞こえてるぞー」
「あとはねあとはね、陛下。これ」
ジルは自分の買い物かごからそっと、買い出しメモにはないものを取り出す。
ちょっと重い、茶色い紙袋に入った小麦粉だ。
「きょ、今日、サービスで、いつもより安くって、増量中で。へ、陛下、ここのお店の小麦粉、お気に入りでしょう。そ、それにこないだ、残り少なくなってきたなって、言ってたから」
ハディスが目を丸くした。
「い、いらなかった……です?」
迷って、でも思い切って挑戦した買い物だった。気を利かせたつもりだけれど、自信がない。小麦粉を持ち上げて、顔を隠そうとして――がしっと小麦粉とそれを持つ手ごとつかまれた。
「僕、気づいてなかったよ……! ありがとう、ジル! すごく嬉しい」
「ほ、ほんとですか」
「うん! 小麦粉は次の買い出しまでギリギリもつかなあって迷ってたんだよ、でもほらいい野菜見つけちゃったから。重たくなっちゃうかなって」
「じゃ、じゃあ、今度でもよかったんじゃ、重いし……」
「何言ってるのラーヴェにでも持たせればいいんだよ!」
「え、俺?」
突然の指名に顔をしかめるラーヴェを無視して、ハディスがジルの目の前にしゃがむ。
「いい買い物してくれてありがとう。僕、いい奥さんもったなあ」
いい奥さん。
ジルの頬がじんわり赤くなる。けれどちょうど公園に差し込んでくる日も赤々としているので、きっと誤魔化せる。
「じゃ、じゃあ、よかったです……」
そわそわして、ばたつきそうになる足を押さえてうつむく。すると今度はハディスがポケットから何か取り出した。
「ジル、あーん」
「あーん」
考える前に反射であけてしまった口の中に、何か放り込まれた。
甘い。ジルはまばたく。
「なんへふか、ほへ」
噛もうとしたら、すぐにほろっと崩れて口の中でとけていってしまった。食感がくせになりそうだ。
「ファッジってお菓子。おまけでもらっちゃった。もういっこあるよ、いる?」
こくこくと頷くと、ハディスがもうひとつ、放り込んでくれる。
「レシピもらったから、作ってあげようか。チョコ入りとかどう?」
さっきより早く何度も頷いた。ハディスが笑って、周囲にある買い物と自分の買い物を上手にまとめ始めた。
エプロン姿で手際よく作業する様子を、かっこいいとは言いがたい。いや、顔は大変によろしいのだけれども――ぱあん、と派手な音が鳴ったのはそのときだった。びっくりしてファッジを飲み込んでしまったジルは、音の発生源を見る。
先ほどぶつかりかけた女の子がいた、時計塔のほうだ。
「誰なのよその女!」
「き、君は、明日じゃなかった!?」
「はあ!? どういうこと!?」
「い、いやええと、これは誤解で」
男ひとりを挟んだ女がふたり、怒鳴り合っている。耳を澄まして詳細を聞くまでもない。
「うわあ、修羅場」
聞こえないのをいいことにラーヴェが苦笑いを浮かべて評価する。同じ光景を見ていたハディスが肩をすくめたあと、ジルに笑顔を向け直した。
「ジル、帰ろっか」
「は、はい、そうですね」
見ているのもいたたまれないし――と、ハディスと一緒に、荷物をわける。
「小麦粉、わたし、持てますよ。陛下のほうが重いです」
「だめ。君はこっち。卵入ってるから、あまり重いもの入れられないんだ。大事に持って」
そう言われたら軽いまま受け取るしかないではないか。むうっと唇を尖らせて受け取ったとき、また時計塔のほうから派手に頬を張る音が聞こえた。なんだかすごいことになっているようだ。つい見てしまったジルは、さきほどぶつかりかけた女の子の顔をとらえる。
女の子は驚いた顔をしていた。視線を追ってジルは胸中で舌打ちする。隣にいるハディスを見て驚いているのだ。ジルの夫はびっくりするほど顔がよろしいので、素直に驚いたのだろう。
その視線を知ってか知らずか、ハディスがジルに笑いかけて手を伸ばす。
「帰ろう、ジル」
それぞれの荷物を持って、手をつないで、家に。
女の子はうろたえたのかもしれない。ジルと視線がかち合った。大きな目が見開かれるのが見えた。どうして、と言っているようだった。
でもハディスに手を引かれたジルの視界から消えてしまえば、それきりだ。
「……わたし、男を見る目はあるのかもしれません」
公園の出入り口で、はあっとジルは大きなため息を吐いた。
「まさか、さっきのとくらべてるの?」
「そういうんじゃないですけど」
「いくらなんでもひどいよ。僕は二股なんてしないって」
もう一度出そうになったため息をこらえて、自転車を見つけたジルはハディスの手を放す。荷物を上手に積まなければならない。
「そこは信じてますよ」
「ならよかった。だいたい、たくさん女の子に囲まれて何が楽しいんだろ」
バランス良く荷物を積みながら、ハディスは本気で首をかしげている。その荷物の上に乗ってラーヴェが答えた。
「さあ。わざわざ状況をややこしくする理由なんて、俺もわからんな」
女神をも惑わす輩どもが何か言っている。遠い目でジルは尋ねてみた。
「ところで、さっきのファッジ、おまけしてレシピまでくれたのは誰なんです?」
「果物を安くしてくれたお姉さ――ぃたっ!」
やはり自分は男を見る目がないかもしれない。自戒をこめて、ジルは軽くハディスの臑を蹴ってやった。
「今のを浮気判定は、さすがに範囲が広すぎない!?」
「そんなことないですよ、わたしはいい奥さんですから。ほら、帰りますよ」
「はあい」
今からおりてきた分だけの坂道を、また戻るのだ。腕まくりをして、ハディスが進める自転車をうしろからジルはおした。
ちょっと変わったことがあった、でも変わらない、いつもの買い物帰り。
今日も綺麗な夕焼けだねと、ハディスが言う。ほんとだと、ジルは笑った。