角川ビーンズ文庫24周年フェア 24hours of Sweet Lovers

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“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。

黄金祭と女王の金貨

ある鯨井
「不死身の女王は嘘つき魔族の執着から逃げられない ※逃げる気もない」シリーズ

 フェンイザード国で年に一度行われる、黄金おうごんさい
 元は収穫祭だった。ある年の祭りの最中、フェンイザードの英雄、勇者と聖姫が魔王を掃討そうとうし、凱旋がいせんした。木々が黄金色こがねいろに紅葉し、実りによって人々が潤う黄金の季節。国の黄金期の始まりとして、収穫祭と英雄への感謝が合わさり始まったのが、黄金祭である。

 黄金祭は祝日。多くの国民は祭りに参加し、にぎやかな非日常を楽しんでいる。
 女王アリアナは私室の窓を開き、微かに聞こえる盛況に耳を傾けながら休憩していた。
「気になるなら、連れて行ってあげようか?」
 唐突に降ってきた声に驚いて顔を上げる。窓の外、くもり空を背に魔族の少年ライが宙を漂っていた。
 彼の気まぐれは本当に急だな、と自然と顔をほころばせ、アリアナはバルコニーへ出る。
「お誘いは嬉しいですが、行けません」
「どうして? 忙しい? 実はそんな興味ない? それとも、街に下りるのが怖い?」
「……そう、ですね。もし、また同じことが起きたらと考えると、恐ろしいです」
 国民に向けた戴冠パレードで起きた襲撃事件。犠牲者の中には見物に来た平民もいて、アリアナの心を深く傷付けた。ライの言う通り、街へ行く想像だけで今も体が強張る。
 先々代も先代も、王は貴賓席で活気づけに一役買ったというのに。……情けない。
 自信喪失にうつむくアリアナに対し、ライは笑みを深める。
「だと思った。つまり、安心安全で恐ろしくなければ『行きたい』ってことでしょ?」
「へ? ――わっ!」
 突然頭から布が掛けられる。手に取り広げると、クリーム色のロングローブだった。
「それ着れば、誰にも見つからなくなるから、こっそり街に下りられるよ」
「えっ、普通の服にしか見えませんが……本当に?」
「疑ったふりするなら、そんな期待した目で見つめないの。ねぇ、どうしたい?」
 心を見透かすようなガラスの目が楽しげに細まり、悪い誘いの手が差し伸べられる。
 アリアナは期待に揺らめく瞳で彼を見つめ、手を伸ばす。……指を一本立てて。
「ど、同行させていただく前に、一分ほど準備の時間をください!」
「……っふ、あっははは! いいよ、待っててあげる。おめかししておいで」
 諦めに沈む女王の瞳が少女らしく燦燦さんさんと輝き出して、魔族はまぶしそうに目を細めた。

(本当に、誰にも気付かれなかった)
 ローブを身にまとい、ライの腕に抱かれて空を城下までひとっ飛び。小高い屋根の上に腰を落ち着けたアリアナは、不思議なローブを握り締めて夢心地に浸っていた。
(幼い頃、お父様に連れてきてもらって以来だから……十年ぶりか、それ以上かも)
 また祭りに来られるなんて。もうあの頃のように無邪気に楽しめないと、諦めていたのに。込み上げてくる感動と感謝を噛み締めて、アリアナは地上を見下ろす。
 王城を正面から見られる広場には、料理が提供される出店が並んでいる。その一店からひらりとライが抜け出して、アリアナの元まで戻ってきた。
「ん、変なの入ってないよ。どーぞ」
 半分に割って果肉をくり抜いた黄色いリンゴの器に、ミルク色のスープが入っている。温かいスープに溶け込んだリンゴと野菜のかぐわしさを堪能し、アリアナは両手で慎重に受け取った。今年はリンゴが豊作だったと聞いた。大きく育った果実の重みが誇らしい。
「ありがとうございます。ちゃんとメモとお金は置いてきてくれましたか?」
「置いてきたけど……本当に良かったの? 金貨なんて見つかったら、スープ一杯が行方不明になるより大騒ぎになると思うけど」
「現金はそれしかなかったもので……」
 一分で用意できたのは、古い金貨一枚と『おつりは不要です』と書いたメモだけ。それを託した時と変わらず、ライは釈然としない表情で空中で足を組む。
 城を出た直後までは機嫌が良さそうだったのに、今は少しつまらなそうな様子だ。
「本当に、スープだけでいいの?」
「はい。お金もありませんし、食べ過ぎると夕食が入らなくなってしまうので」
「……で、あと十分で帰るって、本気?」
「はい。すぐ帰るべきだとわかっていますが、少しだけ満喫まんきつする時間が欲しくて……」
「いや、短過ぎるって話してんだけど……はぁ。じゃあどこかに移動する? 誰にも気付かれないってわかったでしょ。こんな屋根の上じゃなくって、街の中歩いたりとかさ」
「いえ、充分です。ライのおかげで心穏やかに祭りを楽しめています。……本当に嬉しいです。またお祭りに来られるとは思いませんでした。ありがとうございます」
 アリアナの言葉に「そう」と静かにまぶたを下ろすライの内心は、穏やかではなかった。

(ほんっとさ……とっとと滅ぼした方がいいだろ、この国)
 気分が悪い。ささやかな幸せで充足する少女の現状に苛立ちが募っていく。この程度で喜ぶ様もしゃくに障るが、アリアナに落ち度はない。彼女に不自由を強いるこの国が悪い。
 城に戻さず、このままさらってしまおうか――魔族ライの目は獲物アリアナに狙いを定める。
「ん、美味しい! リンゴの風味が爽やかで、口当たりはなめらか。優しい味ですね」
 アリアナの能天気な声に、無意識に伸びた手が硬直する。普段の食事に比べれば質素な代物だろうに、心底嬉しそうな様子に毒気が抜け、やり場のなくなった手を振るった。
「……そ。良かったねぇ~」
「あ、ライの好みの味ではありませんでしたか?」
「変なもの入ってないか確認しただけで、味なんか気にしてないよ」
「そんな……勿体無いですよ。美味しいので、是非一緒に味わってください」
 目の前に差し出された器をしぶしぶ受け取り、一口すすったライは味の変化に首を傾げた。
「……なんか、よくわかんない味になってる」
 知らない物を口にしたような渋い顔のライを、アリアナは心配そうに見上げる。
「えっ……と、美味しくなかったですか? どこか気分が優れないとか……」
「んー? 気分は悪くないけど……やっぱよくわかんないな、何とも言えない味」
 もう一口啜り、味を確かめる。牛乳と擦り潰された果物、野菜、香草、調味料。材料に変化なし。スープに溶け込んだ苦楽の昇華と分かち合う喜びの味も、舌が覚えている通り。
 それ以外に混ざり込んだ感情あじは、アリアナが器を渡す時、無自覚に込めたものだろう。
 その感情あじの正しい名前は知らないが、多少近い意味に心当たりはあった。
「一緒に食べると美味しいって、こういう味なんだね。知らなかった」
 祭りの喧騒けんそうが風と共に二人の間をすり抜けていく。アリアナは大きく見開いた目にライを映して小さく息を呑み――「ぐぅ」と、苦悶のしかめ面で胸元を握り締めた。
「え、何? 急に悔しがり始めて」
「どうしてわたしは金貨を一枚しか持ってこられなかったのだろうと……! ライのお腹がいっぱいになるまで、たくさん食べていただきたかった……!!」
「思うのは自由だけど、止めた方がいいよ」
 ライの中に空腹の記憶はあれど満腹の記憶はない。お腹いっぱいは無理な話だ。
「そう、ですか……そうですね、今日は時間も限られていますし……本当に悔しいです。この無念は次の機会に晴らしたいと……あっ。次の機会ももうけていただけますか?」
「……別にいいけど」
 そもそも食事は不要なのだが――言ったとして、アリアナは色々と食べさせたいと考えるのを止めないだろう。何とも言えない据わりの悪さを覚えて、眉を寄せる。
「嬉しいです! ……あ、そう考えると、お釣りはいただいておくべきでしたね」
「今から適当にもらってこようか?」
「――お、おい! 見ろよこの金貨!」
 不意に屋根の上にも届く男の声。下を覗くとくだんのスープ店に人が集まっていた。
 これではお釣りの回収は難しいだろう。二人は互いに目配せし、仕方ないと肩を落とし諦めの空気の中――脱力してる場合でない騒ぎに発展していく。
「これって聖姫様の周年記念硬貨じゃないか!」
「刻印番号が……いいい、一番っ!? これっ、ぉおお、王家の所有品なんじゃっ」
「盗難品か!? いや、待て! 金貨を包んでいた紙、王家に献上されるサヒート紙だ!」
「まさか、女王陛下がいらっしゃったのか!? 誰か筆跡鑑定できる奴はいないか!?」
「一体いつの間に! なぁ、本当に誰も受け取った覚えはないのか!?」
 予想以上の騒動にライはアリアナに視線を流すと、困ったと取り乱す視線とぶつかる。
 手元にあった現金を使っただけでこの騒動。多少気の毒に感じて、目を細めた。
「取り返してきてあげようか?」
「……いえ。お気持ちだけ、いただきます。わたしの迂闊うかつが招いた事態なので……」
「…………。あっそ」

 その後、善良な国民によって記念金貨は王城に運ばれた。
 しかし女王が「スープの代金だ」と受け取るのを拒否したため、金貨とメモは博物館に寄贈された。スープ店の逸話と共に、若き女王の話は様々な形で語り継がれることになる。
 偉大な先々代や先代とは異なる控えめな、あるいは人目を避けるような静かな行動力。スープ一杯に金貨で支払いをする豪快さ。世界に一枚だけの記念金貨を使った謎。かつて病弱だった姫君、現在は如何いかなる凶刃の前にも倒れぬ不死身の女王。そんな表面しか知られていなかった彼女の人柄が垣間見える話は、国民に広く受け入れられた。
 一方、女王の脱走が判明した城内では、困惑と混乱に包まれていた。
 如何にして誰にも気付かれず城を抜け出し、戻ったのか。誰が尋ねようとも女王はその手段について口を割らなかったため、護衛騎士の関与が疑われた。
 女王の護衛騎士は平民出身でありながら、武の才に長けていた。その強さは勇者の再来と期待されるほどであり、女王の側でかしずく権利を実力で掴んだとんでもない逸材である。
 そんな強さの象徴とも呼べる護衛騎士は、自らに向けられた容疑を否定しなかった。
 ――何せ女王を連れ出したのは、紛れもなく『自分』だったから。

(まぁ、そりゃこうなるか)
 アリアナは魔族ライが共犯者だと明かさない。ならば、護衛騎士フォルスとしてできるのは「お前の仕業か?」という問いに「大体そんな感じです」と答えることだけ。
 勇者の再来と呼ばれる畏敬いけいのおかげで『あいつの仕業しわざなら打つ手なし』と諦めの空気になり、事態はうやむやに丸く収まった。
 ただ、フォルスの正体を知らず、護衛騎士の身の潔白を知るアリアナは憤慨した。
「どうして何もしていないのに、そんな適当なことを言ったのですか?」
「自分はできるかどうか聞かれたので、できると答えただけです」
 アリアナが『取り返してきてほしい』と頼らないから――そんな八つ当たりに近い感情を抑え込んで、『彼』もまたアリアナ同様、固く口をつぐんだ。


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