角川ビーンズ文庫24周年フェア 24hours of Sweet Lovers

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スペシャルショートストーリー公開中!

“24hours of Sweet Lovers”
【朝】【昼】【夜】それぞれの溺愛シーンを描いたショートストーリー、
ぜひお楽しみください。

悪役令嬢エカテリーナの悪夢

浜 千鳥
「悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします」シリーズ

 ある夜。
 悪役令嬢エカテリーナ・ユールノヴァは、最悪の悪夢を見た。
 前世の記憶を持っていることを最愛の兄アレクセイに知られて、お前など私の妹ではない、と冷たく捨てられる夢だった。

「お兄様……!」
 叫んで、エカテリーナは夢からめた。
 がば、と身を起こして、あたりを見回す。広々としたそこは見慣れた自分の部屋、静まり返った夜の公爵邸だ。
 よかった、夢だった。
 そう思ったそばから涙がこみ上げて、エカテリーナは両手で顔をおおう。涙は止まることなくあふれ出し、エカテリーナは声を殺してしのび泣いた。
 ブラコンを自認するほど大好きな、たった一人の家族である兄アレクセイ。
 そのアレクセイは世界一のシスコンだと思うほど、いつも絶対的に妹を愛してくれる。
 そんな兄に、拒絶されるなんて。
 夢だとしてもあまりに怖くて、辛くて、泣かずにはいられなかった。

「お嬢様」
 声を掛けられて、びくっとエカテリーナは涙に濡れた顔を上げる。
 いつの間に現れたのか、ベッドの横にメイドのミナがいた。いつものことだが真夜中でもメイド服を身に着けて、完全に業務態勢だ。
「泣いているんですか。何があったんですか」
 例によっての淡々とした声音こわねだが、心配してくれているのが感じ取れた。エカテリーナはあわてて涙を拭う。
「なんでもなくてよ、ミナ。ただ、怖い夢を見て」
「夢ですか。わかりました」
 ミナはうなずいた。
「閣下をお呼びします」
 いや待って!
 そりゃお兄様は世界一のシスコンで、私が泣いていたらなぐさめにけつけてくれると思うけど、公爵閣下よ? ミナは特別な護衛の戦闘メイドだけど、私が怖い夢を見た、なんて程度のことでお兄様を気楽に呼んじゃダメなはず。いやうちの場合、お兄様のシスコンでそのへんグダグダになっているのは確かだけど、本来はね?
 ていうか、私はお兄様に夜はぐっすり眠ってほしいです! お兄様は忙しいんだから、睡眠不足は過労死の元!
「ミナ、わたくしは大丈夫よ……」
 兄のため、ミナのためにと、エカテリーナはミナを止めようとする。
 しかしミナの姿は、すでにエカテリーナの部屋から消えていた。
 いやなぜ消える! あらためてミナの身体能力がすごすぎる。そしてそんな能力を発揮するほどの場面じゃないと思うんですが……。
「エカテリーナ!」
 ばんっ! と部屋の扉を押し開いて、アレクセイが現れた。
 お兄様来た! 来ちゃった、さすがシスコン。
 そして早っ! ユールノヴァ公爵邸、デカくて広いのに。お兄様の部屋から私の部屋まで、ここまで早く移動できるほどは近くないのに。
 瞬間移動ですか? やっぱり、シスコンのあまり瞬間移動を会得えとくしてしまったんですか? この疑惑、なんか以前から何度も思っているような気がする。
 そしてこんな状況ですが、薄明かりに浮かび上がるお兄様のお顔はあらためて超イケメンです。
「エカテリーナ」
 展開というより移動の速度についていけていないエカテリーナを、アレクセイは抱き上げた。
 そして自分の膝に座らせて、抱きしめた。
「怖い夢を見たそうだな。可哀想に……」
 う。
「お兄様……」
 頭の中を飛び交っていたツッコミがぱたりと停止して、エカテリーナは兄に抱きついた。
 わあああん。
 お兄様、私のこと嫌いになっちゃイヤーッ!

 私には確かに、前世の記憶があるわけだけど。
 この世界とは別の世界にある日本で、社畜SEになって激務の果てに過労死した二十八歳のゆきむら、の記憶があるわけだけど。
 でも、でも、その記憶があったら、私はお兄様の妹とは言えなくなるんだろうか。
 かつて雪村利奈だったこの魂は、死んで忘却の川を渡り日本で生きた人生を忘れて、エカテリーナ・ユールノヴァとして新たな生命を得た。突然に雪村利奈の記憶がよみがえりはしたけれど、今は確かに、エカテリーナの人生を生きている。
 雪村利奈としての記憶は……かつての生のざんのようなものに過ぎないのだと思う。
 ……でも、記憶は、人格そのものと言って過言ではない。記憶が戻った直後は、雪村利奈が独立した人格としてエカテリーナの中に存在しているかのように感じた。雪村利奈の記憶が混じったことで、エカテリーナの人格は変化した……。
 でも。記憶が人格なら、私にはエカテリーナの人生の記憶がある。お母様と過ごした日々、幽閉されて過ごした暗い日々を覚えている。私以外の誰も、エカテリーナではない。それなのに、私は、エカテリーナではないということになるの?
 この人生で魂が宿っている肉体は、お兄様と同じ父母から受け継いだものなのに。

「エカテリーナ」
 ぐるぐると考え続けているエカテリーナを抱きしめたまま、その髪をアレクセイは優しくでる。
「大人びたところのあるお前がこれほど泣くとは……よほど恐ろしい夢だったのだろう。もう大丈夫だ、お前に害を成すことなど、私が決して許しはしない。だから安心していいんだ、私のエカテリーナ」
 大人びたどころか、お兄様より十歳も歳上のアラサーの記憶持ちでごめんなさい。
 こんな風にエカテリーナが内心で謝るのはいつものことだが、今は本当に心が痛んだ。
 私、お兄様に良心のしゃくを感じているのかな。異世界の記憶があることを、話していないから。だからあんな夢を見たのかも。
 話すべき?
 嫌われるかもしれないことを隠してお兄様に愛してもらっているのは、やっぱりきょうじゃないだろうか。
 そう悩んでいるエカテリーナに、アレクセイが優しい声で言った。
「だが……すまない、少し嬉しくも感じる」
 エカテリーナは驚く。
 嬉しいって、どうしてでしょう?
「私たちは、離れ離れに育ったからね。もしも一緒に育っていたら、幼い頃のお前が怖い夢を見て泣いている時、私が慰めることができただろう。こうしていると、得られなかった時間を少し取り戻したような心地がする」
 ああ。
 うなずいて、エカテリーナは手を伸ばし、アレクセイの髪を撫でた。
「わたくしも……お小さい頃のお兄様が悲しい時やお寂しい時、こうしてお慰めしとうございました」
「優しい子だ」
 アレクセイは目を細めた。
「お前がいてくれれば、寂しさなど感じることはない。私のエカテリーナ……我が心の薔薇ばら、我が心の太陽。お前の存在は、いつも心をかぐわしく暖かく満たしてくれる。お前のような妹を持って、私は本当に幸せだ」
 エカテリーナは目を見開く。
 よし。
 決めた。

 私、自分が別の人生の記憶を持っていること、絶対にお兄様に言わないことにする。
 だって、それを伝えてお兄様が幸せになる? 逆に、今こうして感じてくれている幸せが、減る危険性があるだけじゃない?
 ほら、前世のドラマか何かで、たまに見かけたやつ。決まったパートナーがありながら別の誰かと浮気して、良心の呵責に耐えきれずにそれをパートナーに白状してしまう……っていう。それを伝えても相手は苦しむだけで、白状したほうが心の重荷を下ろせるだけ。
 自分のことしか考えてないだろ! そんなの心に秘めたまま墓まで持っていけ! って思ったもんでしたわ。
 それと変わらないじゃない。自分がスッキリしたいだけでお兄様を嫌な気持ちにさせるかもしれないことを伝えるなんて、私はしない!
 前世のありがち展開よ、学ばせてくれてありがとう。そういえば『正直は必ずしも美徳ではない』っていう英語構文もあったなあ。しっかり学習しました。
 本当は嫌われたくないから黙っておくことにしただけだろう、お兄様のためなんて口実で自分のためだろう、と心のどこかが自分をディスりに来るんですが。
 正しくなくたっていいもん。お兄様が幸せなのが一番!

「お兄様」
 涙をぬぐって、エカテリーナは微笑んだ。
「わたくしはお兄様の妹に生まれることができて、本当に幸せですわ」
 アレクセイも微笑む。
「笑顔が戻ったか。そうだ、美しきエカテリーナ、どうか笑っておくれ。お前の涙は真珠より美しいが、微笑みはダイヤモンドよりも輝かしい。お前が輝けば世界もきらめき、喜びに満たされるだろう」
「お兄様ったら」
 シスコンアレクセイの通常運転な言葉に、エカテリーナは悪夢が払拭ふっしょくされた気持ちだ。
「さあ、もうお休み」
 ようやく、アレクセイは膝に抱いていた妹をベッドへ下ろした。
「お前に悪夢が寄り付かぬよう、私がここで不寝番ねずのばんを務めるから。安心して眠りなさい」
 あわててエカテリーナは首を横に振る。
「お兄様、それはなりませんわ。睡眠をとってくださらなければ、お兄様のお身体にさわりますもの」
「お前はいつも私を気遣ってくれる……だが私はきたえているんだ、一晩くらい大したことはないよ」
 いいえ、寝不足は過労死の元です! この人生では、公爵の仕事で忙しいお兄様を過労死から守るのが、私の最大のミッションですので!
「ではお兄様、ここでわたくしと一緒にお休みになってくださいまし。そうすればわたくしは安心して眠ることができ、お兄様の睡眠も確保できますわ」
 長身のアレクセイと一緒に寝ても余裕なくらい、公爵令嬢のベッドは広い。
「……幼い頃からご一緒できていれば、きっとこのように、一緒にお休みすることもあったと思いますの。時間を取り戻しませんこと?」
「お前は交渉上手だ。では、そうしよう」
 アレクセイは笑って、エカテリーナの頭を撫でた。
「お休み、可愛いエカテリーナ。良い夢を」


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